ポルノゲーム規制でワシも考えた

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090511-OYT1T00781.htm
http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20090514/1242334288
等々参照。

本筋と離れたところもありますが、せっかくの機会なので。
ことの性質上明らかにしておくと、私はおばさんです。



==批判と法規制は別物==

痴漢やレイプは言うまでもなく相手の人格を踏みにじる行為で、挙句に妊娠中絶となれば命の尊厳まで踏みにじっている。ゲームの作り手や遊び手を、個人や団体が批判することにはなんら問題はない。その批判が不当だったりまちがっていると考えるなら、反論すればよい。それが言論の自由ってやつでしょ?
批判はどんどんやってOKだが、法規制を求めるのは慎重に。法律の網の中に、警察の管轄下に入るということは、市民が自分で決めて選ぶ権利をゆずり渡すことなのだから。実際の被害者のいる実写では仕方ない(それが公共の福祉ってことでしょ?)けれど、CG・アニメ・イラストetc.までも法規制するのはバランスを欠く。



==年齢制限やゾーニングには理がある==

ファンタジーはファンタジーで現実には別の楽しさがあると理解できる大人以外には、やっぱり触れさせない方がよいものはある。そういうもんだと刷り込まれちゃ困るからだ。
もちろん"十八禁"のシールはついていて売り場も別だけれど、店で身分証明書の提示を求められたという話は聞いたことがない。インターネットなら「十八歳以上ですか」に対して「はい」のボタンを押せば見放題だ。明示的な同意のない性行為や暴力の表現があるかどうかで、一段厳しい基準があるわけでもない。ここは業界の努力に期待する。



==他に何があるかが問題==

前段「そういうもんだと刷り込まれちゃ困る」ともつながるのだが、性についての必要な情報が行き渡っているかや、男尊女卑・男女の役割分担の風潮がどれだけあるかによって、この手の表現の社会での意味は変わってくる。日本はそういうところでまだまだなのではないか。
外出しを避妊だと勘違いしている人や、口から病気がうつることを知らない人はざらにいる。
はてな住民の方々は男の方が虐げられていると言うかもしれないけれど、それは若くてきれいな女の子とそうでもない男の間だからであって、トータルで見ると女の方が劣位or受身であることを期待される局面の方が多い。若い女の子が強気なのだって、自分の性的な商品価値が高いうちに…という思いがあるからで、彼女たちは性的な商品価値のない「おばさん」になることを極度に怖がる。のではないかなあと自分と友達の経験だけで言ってみる(^^;)



===完全なる余談===

痴漢やレイプでなくても、いや、一見ラブラブ(死語)だからこそ、問題はある。
昔流行したヘタレ少年のモノローグ形式でハーレム状態のゲーム、あるじゃないですか。私的な感想としては、そちらの方が気持ち悪かった。主人公は勝手に恋愛だと思ってもりあがっておるけれども、本当に相手はそういうことを望んでいるのかい?という疑問が浮かんでしまって。なんて言うのかな。体だけでなく精神までオカズにされている感じ。(…*)
いわゆる陵辱ものをファンタジーとして消費していてそこに後ろめたさを感じている男と、泣きゲーで泣いたと無邪気に吹聴している男がいたら、前者の方が話が通じる。
もちろん、*はヘテロ男向けポルノに限った話ではない。ヘテロ女向けだろうとゲイ向けだろうとレズビアン向けだろうと、ポルノでなくても、他人との関係を含むフィクションは全てプレイヤーor視聴者or読者が気持ちよくなるためのオカズなのかもしれない。極論をすれば。
それは仕方のないことだし、フィクションを好きに楽しむくらい許してくれよと、自分自身でも思う。ただ、変わった嗜好の持ち主を「俺たちは健全」という立場からたたくのも見苦しいんじゃないかな。

痴漢談義でワシも考えた

『痴漢について対話してみた』
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090429/1240988822
について。

一つのサンプルとして、私的な感想を書かせていただきます。。

女でないから共感できないというような意見が散見されるのすが、それは違うと思います。
「立場が違うから同じ感情は持てないけれど、あなたのつらさや痛みは私の想像力の手を伸ばして受け止めたい。」
というのは、立派な「共感」ではありませんか。
それは「共感」ではないというなら、定義のちがいなので反論のしようがありませんが。
ただ、痴漢に限らず、嫌なことがあったことを話す時に相手に期待しているのは、そういうリアクションなのではないでしょうか。
百人に聞きましたをしたわけではありませんが、少なくとも、私はそうです。

もちろん、その期待に応えるかどうかは自由です。

あと一つ。
共感vs合理的対処法になるのが、理解できません。
共感してから、合理的対処法を一緒に考えればよいだけでは?

血液型性格判断でワシも考えた

血液型性格判断エセ科学問題ではなく差別問題だ』 http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20090426/1240736884
を読んで。
血液型性格判断の問題は、エセ科学か差別かの二分法ではなく、
「差別がエセ科学によって正当化されている問題」
と表現するのがより適当と考えます。
根拠とされるものが「科学的」だろうとなんだろうと、個人の選択を、変えられない属性や今更上書きできない過去を理由にシステムが入り口で阻むことは、是正されるべき「差別」である。と私は考えています。(雑談のネタでも、それがつみ重なって偏見を蔓延させるならば、差別に加担しています。)ただ、「科学的に正しい」ならば「政治的・社会的にも正しい」と思ってしまう人もいるので、戦術として「科学的に正しくない」と言って説得するのもありかと思います。

痴漢でワシも考えた

一連の痴漢関係のエントリ&コメントの中に、どうしても納得できないところがあったので、自分でも書いてみます。
思い込みと予断に満ちたものですが、そういう考え方もありかとうい程度に参考にしていただければ幸いです。

男女を完全に分離すべし/してほしい
という主張をちらほら見かけたのですが、
(例 http://d.hatena.ne.jp/p_wiz/20090420/p3)
これってあまりに考えなしではありませんか?
問題点は以下の3つです。詳細は後述します。
1.男女の性別は自明ではない
2.性的志向性自認は一対一対応はしない
3.「完全に」分離するのは技術的に難しい

**

1.男女の性別は自明ではない

No.2ボン・クレーはどうすんだとか、そういう話です。
異性装はしないけれど、性自認はねじれている場合もあります。
スカートをはいてるけど、自分は男だと思っている戸籍上は女とか。
外形と内蔵の特徴と遺伝上の性別が一致しないいわゆる半陰陽も、
一定割合で生まれるそうです。

http://www14.ocn.ne.jp/~pesfis/index2.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%8A%E9%99%B0%E9%99%BD

**

2.性的志向性自認は一対一対応はしない

性的欲望を感じる相手は男なら女、女なら男とは限りません。
「ゲイ」「レズビアン」「バイセクシャル」にとっては、
男女で車両を分けても本質的な差はないのではないかと思うのです。
特に、あくまでも小生の印象ですが、
成人男性による男子に対する性的虐待・わいせつ事犯というのは少なくないように思います。

**

1と2が組み合わさって、
男になって男を性の対象にしたい戸籍上は女
なんていう複雑なケースだって生まれ得ます。
どう対応するのでしょう?
クィア

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%82%A2
http://queerjp.org/index.html

の専用車両を作りますか?
それは新たな差別ではないですか?

**

3.「完全に」分離するのは技術的に難しい

今の女性専用車両の運営は、一部だけ・希望する人だけだからうまく行っている部分が大きいと思います。
痴漢にあうリスクがなくなるならば、他の不便や不快
(乗り換えが不便、他の乗客が化粧をしているのが不愉快、香水や整髪料の匂いで吐き気がする等)
をがまんする心構えがある人だけが利用するとか。
男(に見える人)が乗ってきても、個別に対応できる数に収まっているとか。
男に見える人は女性専用でない車両に乗ることで、自らそういうトラブルを回避することもできるとか。


全ての車両を男女別にしてそれを強制したら、上記のような逃げ道・選択肢が失われて、新たなトラブルが起こるでしょう。
乗り換えや昇降の利便性や車両の分配割合で、男女が互いを
「不当に得をしてる!」
と訴えるのも、容易に想像できます。
そういう不満がどっと鉄道会社に寄せられることもあるでしょう。

そして、1と2の問題がある以上、どこで線を引くか、どうやって確認するかは至難であり、どうしたって不満は残るのではないでしょうか。

鉄道会社にそこまでの負担を負わせるの無理だし、「社会全体で」とか「政治が」とか言うならば、企業と住宅両方の一極集中の解消に向かう方が建設的です。

**

補足と言い訳

この記事を読んで、不快になる「クィア」の方がいらっしゃるかもしれません。
だとしたら、まずは不用意な表現であったことをお詫びします。
言い訳を許していただければ、ヘテロ異性愛者の一部が痴漢・痴女になる「事実」があるのならば、「クィア」の一部が同様のことをする可能性もあるのではないかと考えただけなのです。
「男はみんな痴漢よ!」がばかばかしいのと同等に、
クィアはみんな痴○だ!」もばかばかしいと思っています。
にわか勉強と想像だけでものを言ってしまったので、間違いや誤解は正していただければありがたいです。